(東日本巨大地震)が発生した.
となっている.
(入場者)がいた.
(従業員)の適切な誘導によりケガ人などはなかった.
と化してしまった.
だ.
きめ細かいところまで徹底したサービスを提供することで定評がある.
運休などと,いくつものの困難を乗り越えてきた.
(帰宅難民)となってしまった.
は,どのような状況だったのだろうか...

まず,
地震直後すぐに,
園の出口ゲートを閉鎖,外に出るのを禁止した.
園外の安全が確認できていないのと,JR京葉線
舞浜駅に数万人が詰め寄せ二次災害となるからだ.
軟禁状態は数時間だけで解除されたが,
JR京葉線の本日中の開通見込みはないと発表された.

数時間で帰れる
ゲストは,徒歩で自宅などに向かったが 2万人が残された.


今回の
大地震は想定外のことばかりだった.
東京ディズニーランドや
東京ディズニーシーに泊まれてうらやましいと思う人もいたかもしれないが,実態は想像以上に過酷で悲惨なものだった.


園内はトイレには困らなかったものの,とにかく
寒さと
空腹に耐える一晩だった.

安全が確保されたレストランなどは開放されたが,その恩恵を受けられたのはごく一部の
ゲストだけだった.
ゲストには,寒さしのぎのゴミ袋や使い捨てカイロ,マスク,タオル,非常食や飲み物,商品のお菓し,炊き出しご飯などが配られた.

翌朝にはコーンスープも出た.

だが,5万5000人ものの人にむらなく行き渡るものではなかった.


ようやく入れるようになったアトラクション施設も,すぐ逃げられるよう入り口は開けっ放しだ.

暖房も入っていない.

特に,小さい子どもたちや制服姿の女子高校生はかわいそうな状態だった.

仮眠も,コンクリートの上に段ボールを敷いて,ゴミ袋を使っただけの寝床だ.

過酷な環境下に
低体温症になり,救護室行きになった
ゲストもいる.


学校の
修学旅行で入っていた団体もいた.

各アトラクション施設の中には,女性や子ども優先ということもあり,総勢200人にもなる団体は最後まで残された.

結局,
東京ディズニーシー隣りの
浦安市民体育館に避難させた.
体育館には,地域住民も避難していたが,毛布などが備蓄されてあり
園内よりかなり快適であった.


今回の件で,
東京ディズニーランドや
東京ディズニーシーなどの東京ディズニーリゾートを運営する
オリエンタルランドには課題が多いことがわかった.

だが,
キャストは,つらくても笑顔を絶やさなかった.
ミッキーが回るなど,
ディズニー流励ましなどのサービスもおこなわれた.
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